Monday, June 18, 2007

3-3 スケジュール管理

しばらく前から、一家のスケジュールはオンライン上で共有するようになりました。人別、グループ別、仕事別で色分けし、家族のスケジュールを確認しつつ新しい予定を追加するようにしています。ぼーっと予定表を開いて見ていると、目の前で新しい予定が追加される現象を目撃できたりしてなかなか面白いです。携帯からも予定を加えることができるのは本当に便利。備忘録代わりに使ったりもしています。

とはいえ、執筆の予定を組むのはそれなりに難しい作業です。まず週刊や月刊誌的な定期業務が入り、次に半日拘束されるようなMTGや講演会の仕事の予定が入ります。月刊誌の記事の執筆など、数日作業で結構かかりきりになってしまうものの場合は、ダブルブッキングしないように、でも「予定無ければ収入も無い~♪」とならないように、できるだけ確実そうな日程をはめ込んでいかなくてはなりません。あとは単行本の書下ろしとか、翻訳などのロングタームの仕事をいくつか抱えておいて、隙間ができたら粛々と進めるのみ。

考え続けていると非常に疲れるため、頭のリラックスタイムをとることも大切です。ドライブや自然の中の散策はいい気分転換になるので、子供が学校に通うまでは、「ちょっと富士山」とか「ちょっと大島」などと1泊2日程度の遠出もよくしていました。身体を動かさないと十数時間ただ座っているだけの生活になってしまうので、最近は意識的に自転車に乗って出かけたり散歩したりもしています。水泳も夏の気分転換にはいいですよね。身体をがしがし動かすと頭の中が空っぽになって脳が開放されるし、あがった後も身体がさっぱりして気持ちいいし。

講演会の前などは、資料を読んだり、考えを整理するための少しまとまった時間も必要になります。締め切りへのラストスパートのときと、講演会やメディアに出演する日の前日などは、家族も気を使ってできるだけ邪魔しないようにそおっと暮らします。わたしにいたっては、締め切りの時間帯になると、頭からめらめらと湯気を出し、目つきが悪くなる(▼▼#)ので、家人は誰も声をかけてきません。

連れ合いは朝方なので、脳が疲労してくるとたったか寝てしまいます。早朝から活動を開始しコーヒーと気合を入れて仕事すると、午前中でだいぶはかどるためだそうです。そういえば、クリエイターとして成功する人は、案外、普段の生活でせっかちだったり、物事を端からぱたぱたとクールにこなしていくタイプの人が多いかもしれないですね。

起きてから寝るまでのパターンも大体決まっていて、そのリズム感でもって執筆作業をドライブさせていくようにも見受けられます。一貫した文章のトーンで長編を書いていくくには、意識を同じ状態に保っていく必要があるわけなのですが、実際に書き続けてみると、気分は日々変化し、これをコントロールするのは実に難しいことが分かります。本当にゆっくりではありますが、内面もそれなりに成長もしていますしね。

書き終わった文章を読み返すのが、意識を戻すための一番簡単な方法なのですが、読み返すとつい手を入れたくなり、なかなか先に進まなくなってしまう。なので、執筆生活がパターン化されていると、この同じ意識状態への立ち返りが、比較的にコントロールしやすくなるのではないかなあと思うわけです。

Friday, June 15, 2007

3-2 WEBツールとアプリケーション

わたしがライター稼業を始めたころは、ノートタイプのワープロがすでに出回っていましたが、連れ合いは団塊の世代のため、ペンでもって腕がしびれるほど書きまくった世代です。締め切り当日の深夜に原稿をがしがし書いているそのそばから、印刷所の担当者が、書き終わった部分の原稿をカッターでぴりぴりぴりと数行ずつ切り取って持って行ったんだとか。推敲無し、筋道を忘れても振り返れない。今歩いている道をそのまま突き進むしかないわけで。彼のメッセージの一途さはこんなところに端を発しているのではなどと思ってしまったりもします。

その点、段落やセンテンスをさくっと入れ替えられるテキストエディタは、わたしのような意志の弱いライターにはうってつけのツールです。今使用しているエディタは、シェアウエアですが安価で、動作がこれ以上無いくらい軽く、シングルクリックで1行分の文章を選択、ダブルクリックで個々の単語を選択することができます。文字数もカウントしてくれるし、行数も表示してくれる。言葉も一斉置換でき、各ページはタブ形式で表示、並べて表示もできる。このくらいの機能があればライティングには申し分ありません。

最近ではテキストで簡単に更新できるWEBページが多いですが、やっぱりいまどきの物書きらしく、WEB編集用のエディタもひとつあると便利ですよね。エラーチェックを表示してくれたり、タグを選択できるツールがついているのはありがたいですし、階層形式で表示すると、ページ構成も見やすく、メンテナンスがとても効率的にできます。なにより頭の中を整理して見せてくれるような爽快感が気持ちいいー。加えて、アプリケーションで持っているべきなのは、画像編集ソフトです。自分でセレクトした写真や画像を加工し、掲載用にデザイナーに送ったり、そのままアップロードするのはもはや物書きの日常業務と言えるでしょう。

ニュースなど、たくさんのデータを整理しながらライティングを行う際に役に立つのが、ノートブックなどのWEBページ保存用のアプリケーション。わたしは脆弱性が比較的少ないオープンブラウザを使用しているのですが、この拡張機能にはだいぶお世話になってます。今は単に全部または一部を保存するノートブックでなく、新聞記事や書籍データなど、WEBページの情報タイプ別に必要な事柄を自動的に保存してくれるものなど、優れた拡張機能もあります。オンラインで利用でき、そのまま保存しておけるサービスも多いので、外出のたびに持ち歩く必要もないのがありがたいです。

ニュースもブログも動画もステイタスも、今やありとあらゆるものがRSS Readerで読み込めるようになってきています。ソーシャルブックマークも思いがけない発見がありますが、やはりオリジナリティが問われる物書きとしては、自分なりのリソースを確保し、刻一刻とフィード内容をチェックしている日々であります。わたしはWEBページとローカルデータが自動的に同期するシェアウエアを愛用中。連れ合いはバージョンアップされて機能が向上してからはGoogle Readerに一本化しました。携帯もいずれ対応するでしょうし、このツールはさらに進化しそうな気がします。

最新ツールのキャッチアップ、これもいまどきの物書きの必須事項ですよね。

Monday, June 04, 2007

3-1 情報収集

物書きの家といえば本。我が家の場合は洋書と和書がほぼ同じくらいの割合で本棚に収まっています。読まなくなった本は、ダンボール2箱分くらいたまると古本屋に持って行き、引っ越すたびに大量に捨てたり預けたり売ったりを繰り返してきました。最近の我が家の物書きさんは朝から夜までPC浸り。なので、以前よりはだいぶ厳選された本が本棚に収まるようになって来ていますが、彼のお母さんは高校生くらいから2Fの彼の部屋の床が抜けやしないか、気が気ではなかったそうです。さもありなん。

ネットをしていないときでも、物書きは何かに必ずチューンインしています。朝はベッドから起き上がる前にテレビをつけてニュース番組にチャンネルを合わせる。日中はフィードやWEBページを消化つつ、メールが着信すると開いて読み、処理する。分厚いゲラを読みながら電話をかけ、傍らのテレビからはCNNが流れている。移動中は本を読む。車のラジオからはFENのニュースが英語をまくし立てる。MLやメールでも皆がニュースを流してくれる。最後の手段、ワンセグもばっちり持ってます。

というように、とにかく言葉の洪水が生活全般を覆っています。日曜日の朝くらいはと思うけれど、目が覚めると討論番組を流している。情報収集というより、情報中毒といったほうがよいかも。時代はもはや活字中毒から情報中毒へ・・ですものね。だからちょっとでもネットワークがダウンしたりすると、騒ぎが持ち上がるわけです。最近、ネットワーク管理者に昇格した我が家のティーンエイジャーくんは、矢のような「まだ繋がらないの?」という皆からの催促に応えるべく、「電源抜いて入れる」などという原始的な手段も使いつつ、なんとかネットワークを維持しています。がんばれ、若者よ。

ではありったけの情報をかき集めて、物書きは何をすくい取っているのか。そのフィルターこそがもちろん重要なわけですが、この部分への「才能」の果たす役割はすごく大きいわけで。誰かをうっとりさせるための文章を書くこと自体はそんなに難しいことじゃない。それよりも、世の中の溢れかえった情報の中から、メッセージを発信するための「知」をどれだけフィルタリングし、後ろ側に抱え続けることができるか。そこが物書きとしてのレベルを問われる部分じゃないかと思うわけです。

Friday, May 18, 2007

2-5 ミセスの輪

今じゃフリーランスも普通の人になってきましたが、ちょっと前まではそうじゃなかった時代もありました。結婚を目前にした連れ合いの仕事仲間から、「未来の奥さんになる人が、自由業でどうやって暮らしていけばいいのか不安がっているから、一度話をしてくれない?」と頼まれ、不定期に入ってくる収入でどうやって生計を立てているのか、ざっくり話をしたことも。

かくいう自分も、物書きやエディトリアルデザイナーやらの自由業の家族が中心になってときどき開いていたパーティで、よく先輩ミセス軍団にいろいろと教えてもらってました。仕事や制作や活動など、それぞれが自分の世界を持っていてカッコよい人が多かったです。どの家も人が集まることが多いので、パーティ用のお料理なんかも伝授してもらったり。駆け出しの主婦のころは確定申告のコツなんかも教えてもらいました。

週末になると子連れの家族組も加わって、遠く海を眺めながら庭先でバーベキューをしたり、夜の野外で音楽やコンサートのビデオを流しながら火を焚いたり。思い返すとちょっと映画の1シーンみたいな感じの集まりもありました。新顔、古くからの友人、学生。仕事のネタを探している人。確信を探している人。自分を探している人。何も探していない人や何しに来たんだか分からない人。ミセス軍団はそんな中で、上手に全体の舵取りをしながら、キッチンに入れ替わり立ち代りしつつ自分たちの時間を楽しんでいたものです。

その空気を言葉で表現するとしたら、開放感 with スタイル・・だったです。年齢にも幅があり、いっそう会話は深みがあって、かつ自然体でした。ときに大爆笑をしながら、でもときどき黙って音楽を聴きながら。

その後の世界と何が違っているのかなあとつらづら考えるに、強い女性が多かった。私生活も山あり谷あり波乱ありの業界ですから、自然とそうなってしまうのかもしれないですね。でもひとりひとりに憧れを抱ける部分があるような集まりだったです。

何年か経ったとき、わたしもこういう女性になりたい・・と思ったものでした。もちろんなれっこありませんけれど。でもせめて彼女に認めてもらえるような、さりげなくて強い自立した人間になりたいなどと考えていました。まだまだ可愛かったですね。

Wednesday, May 09, 2007

2-4 読者との繋がり

連れ合いはときどき講演会に出かけていって、あることあること喋ってきます。読者との触れ合いによって得るものは多いようです。

紙媒体における文章の場合、出版して自分の手を離れてしまうと、ある意味もう「自分のもの」ではなくなります。それは読者に「共有されるもの」であり、縁あってそれを読んだ人は、受け取ったものを心の中に留め置くか、忘れ去るか、消化したのち別の形で伝えていくことになりますが、そこに存在するのは書き手ではなく言葉が意味するところのもの。筆者の思い入れなど伝わらないと考えておいたほうがむしろ良いのかもしれず、もう二度と「自分のもの」にはなりえない。悲しくも希望に満ちた運命を抱えつつ、われらが本たちは旅だっていくわけです。

で、そうやって自分がかつて書いた文章が、読み手とどの部分で交わり、共有されるのか。読者との接点を持つことで物書きは初めて知ることになります。もちろん受け取る内容は読む人によってそれぞれ違うので、1つの物語は読んだ人の数だけの物語となる。それは言葉の持つ不思議な力のひとつでもありますよね。

連れ合いは、メジャークラスの講演会であればあるほど、参加している人に幅があり、どこから話せばいいのか見極めるのが難しいと言います。なので内容にもよりますが、メンバーをフィックスさせて連続数回にわたって開かれる勉強会などのほうが有効であると考えているようです。

以前は物書きと読者の距離は遠く、出版社経由でお手紙をいただいたり、突然電話がかかってくるといったこともありました。アポなし訪問もたまにあり、面食らいつつ慌てて部屋を片付けたことも。全体的に「唐突」という印象で、個々と話をしていても書き手と読み手の距離を感じさせるものがあったように思います。

けれど最近はブログでリアルタイムの声を更新することができるようになり、出版社経由でなくても直接コンタクトをとれるようになり、コメントを書き込む人々の間で会話が広がったり、MLやSNSでネットワークが作られるなど、それぞれの繋がり方も変わってきました。

それとともに、以前よりも直接お目にかかったときの距離感は確実に縮まっていますし、単に「書いた人」と「読んだ人」という力学的な関係ではなくて、いくつかのテーマによって繋がった人々の輪であり、集合の知を作るための共同の作業という雰囲気が感じられるようになってきています。

20年前の書き手と読み手との関係を考えるとこれは大きな変化だなあと思うわけです。WikipediaやGoogleによる「人間の知」に対する試みもその集大成という感じですが、インターネットが果たした役割は数十年後、振り返ったときにどのように位置づけられるのでしょう。もうそのころは生きていないかもしれないけれど、変化そのものを今こうして目撃できていることに感謝。

Sunday, May 06, 2007

2-3 横の繋がり

物書き同士の話を聞いているのは楽しいです。

あるときは東京近郊の物書きの友人宅の庭で焚き火をしながら、またあるときは信州にたたずむ丸太小屋のスウェーデン製のストーブの周りで、そして我が家のテレビの前の雑然としたじゅうたんの上で。地球上のどこでも彼らはえんえんと語り合っています。政治のこと、社会のこと、ネットのこと、文化のこと、ライフスタイルのこと。

「時代をこう切り取ってみたときにね、自分はこう考えるんだけども・・」と、世の中に発表する前の自分の考えについて同業者の意見を聞いているようでもあります。物書きとはいわば共感を得る仕事でもあるわけなので、その切り口が自分だけの思い込みでないかどうか、プロの物書き同士で確認しあっているということなのかもしれません。

書くことが専門なのですから、寡黙な方も必ずやいるはずなのですが、わたしのまわりの物書き業の皆さんはどうも饒舌タイプ。類が友を呼んでいるのかもしれませんが、でもやっぱり物申したいことがあるから物書きや作家になっているということなのだろうなーとも思うわけなのです。

週刊誌で仕事をしていたときは、毎週決まった時間に編集者のお抱えライターが集結、ひととおりページ構成と分担する記事の打ち合わせを行った後、それじゃ行きますかと、皆で近場の飲み屋さんに移動し、とめどない情報交換をしてから、9時ごろ編集部に戻り、赤い顔しながらパタパタキーボードを叩くというのがお決まりのパターンでした。で、深夜に原稿を書き終えると、終わったもの同士でタクシーに乗って六本木などに行き、明るくなるまで情報交換大会の続きをします。

たくさん話したうちのたいていのことは忘れてしまったりするけれど、思いがけず心に響いたりヒントになることもあったりして、そうやって知性に刺激を与え合いながら、また散り散りになってそれぞれのライフワークに戻っていく。もちろんそんなこと何十年もやっていたら身体持ちませんけど、でもあのころの横の繋がりは、プロとして記事を紡いでいく姿勢とか、事実への見方の違いを意見しあう面白さとか、人生何が悲しいことで何が楽しいことなのかとかを考えるとても良い機会になったと思っています。

サラリーウーマンになって、このキャッチボールをする機会がほとんどないことに気がつきました。ビジネスのなかには核心に触れる話題をするための要素があまりないため仕方がないのだと思いますが、自然とボールを投げる機会が日常生活の中から減り、深い話をするきっかけを失ってしまうのは少し残念だなあと思いました。

結局、5年間会社勤めをしていた間に、仕事においても、そういう意味で人間臭い人には一人しか出会えませんでした。深い人間が少ない・・ということでは決してないので、コミュニケーションのとり方がマスコミ界とはぜんぜん違うことを痛感したわけです。

物書きとの口論など、状況によってはうっとおしいことも無いわけじゃありませんけれど、考えることを生業としていくことは、それを避けられない状況に常におかれるということでもあります。だから逆にそうじゃない状況にあるとき、うっかり考えることを諦めてしまわないようどこかで自分を見ている必要があるのかもしれないなあと。

ところでお喋りを続けていくためには、互いに「言葉を共有している」必要があるのですよね。考え方や生きてきた世界によって、共有している言葉の数は自然と変わってくるのものですが、はじめからたくさんの言葉を共有できている人との出会いも稀にあります。それは嬉しい出会いです。