Monday, October 02, 2006
2-2 ご近所とのお付き合い
それでも掃除当番や町内会の寄り合いなどに時々顔を出すようにしていると、少しずつご近所とも顔なじみになり、「怪しいには変わりないけれど、悪い人たちではなさそうだ」という顔をしてもらえるようになってきます。子ども会の仕事をきっちりやり遂げた連れ合いも、しまいには主婦のアイドルとなり、お買い物袋を抱えて戻ってくると、皆が声をかけて手を振ってくれるまでになりました。
会うたびに「絵を書いて暮らすのは大変なことでしょう」と同情してくれるおばあさんがいて、何度も訂正したのですがどうも主旨が伝わらず。面倒になって「ええ、大変なんですよー」と素直に従うことにして、引っ越すまで連れ合いをずっと絵描きのままにしてしまったこともありました。都心から離れれば離れるほど、仕事で使っている言葉は伝わらなくなり、意味すら成さなくなり、物書きでも絵描きでも、まあどっちでもいいか・・と思えてきて、自然薯を分けてもらって幸せな気分でゆらゆら帰るというような精神状態になってしまうようです。
東京から車で3時間程度、日帰りもナントカできるかなという距離感の場所では、リタイア族やわたしたちのように他所から来て済んでいる方々も比較的多かったです。修善寺の別荘地に暮らしていたときは、お隣(といっても、200メートルくらい離れているのですが)にフランス帰りの本物の画家のご夫婦が住んでいました。そこのおうちは土足スタイルで、フランスの小物が家中にたくさん飾ってあり、絵の具とアートの匂いがぷんぷんして、まさにお洒落を絵に描いたような家でした。ときどき遊びに行き、挽きたてのコーヒーの香りに全身包まれながら、フランス製の陶器を破壊しないよう子供を拉致しつつコーヒーをご馳走になったりしていました。
道と空き地をはさんだお向かいのログハウスにはアメリカ人と日本人とのご夫婦一家が住んでいて、散歩をしているとすぐそこのご主人につかまり、「僕は心臓が弱くていろんな薬を飲んでみたのだが効かない。どうすればよくなるのだろう」といった話に付き合わされたりしていました。「海草食べれば。血にいいらしいですよ」「それはなんだ、よく効くのか?」「た、たぶん・・」 からかっているのか、からかわれているのか分かりませんでしたが、このご主人とは結構気があって、連れ合いもよくおしゃべりをしていたようです。
この別荘地にはさらに謎めいた一風変わったヒトビトが多く暮らしていて、普通でない事件も数多くありました。そのときの事件の数々は別ブログでも作ってぜひ書きたいと思っています。
ところで、山あいに暮らしていると、狸だとか、鹿だとか、キジだとか、大量の虫だとかのワイルドなビジターもたくさん訪れます。相模湖に近い山あいで暮らしていたときは、顔がひょーと長いごっつい動物が、猫の餌を狙って数日続けてやって来ました。大型犬サイズの見たことのない動物だったです。動物というより、獣って感じ。でも我が家の猫達から猫キック攻撃を浴び、ひーんとお山に逃げていきました。恐るべし猫キック。しかし、写真を撮っていなくて正体を突き止められず、ほんとに残念です。(狸やハクビシンかもしれないとそのときは思ったのですが、後日狸もやってきて、ハクビシンの剥製も見る機会があって、どちらもぜんぜん違うってことが分かりました。)
大きなサルが大きな音を立てながら、庭と屋根の上を走り回ったあげく、隣の犬を犬小屋に追い詰めてゆっさゆっさと小屋をゆすっていじめていたこともありました。ほかにも朝起きたら、家の壁やら地面やらが、足がたくさん生えた虫でうめつくされていたりとか。いやもう年がら年中、自然界には事件が起こっているので、そういう意味ではぜんぜん退屈しない生活だったです。
Sunday, October 01, 2006
2-1 クリエイター繋がり
イベントやパーティに家族連れで出かけていって、たくさんの人々とお目にかかったりすることもあります。参加者はイベントの主旨などによって少しずつ変わってくるのですが、出版や音楽、デザイン系のクリエイティブ業の方だったり、自分でお店を出している方や、リゾート地に暮らして自宅で仕事をしている方とさまざま。地に足が着いた存在感をどーんと持っている方が多いので、こうした出会いにはずいぶん刺激を受けてきました。
物書きと話をすることは何らかの刺激になるようで、知り合いの知り合いの紹介というような感じでアプローチを受けることもよくあります。以前、伊豆の海辺の町で、隣り合った2件の家を事務所と自宅として借りていたときは、昼夜を問わず様々なグループが訪れて、朝起きたときに何人分の朝食を用意すればいいかが分からず、寝ている人たちを数えて回ったこともありました。
日常的に2人分とか3人分の食事しか作っていないと、いきなり10人分とかいっても、調味料や時間の配分が結構難しいものですよね。普段は通用する「適当なさじ加減」も、大人数になると「このくらいかな~(どばー)」となり、度重なる失敗作を旅人の方々にお出しし続け、最終的には、人が多いときは「野菜スープとパンとサラダ」か「玄米と野菜のお味噌汁と地元でとれた干物」のメニューで落ち着きました。
家族やコイビトを連れていらっしゃる人も結構多かったです。冒険家とエディトリアルデザイナーのご夫婦が、子供と犬とでっかいカヤックを積んで、お友達と車を連ねて訪ねてきたこともありました。奥さんは業界では有名なデザイナーの方でしたが、皆で話をしている間、ときどき外に出て子供の相手をしたり、木につないだ犬に水をやったり。それがものすごく自然体で妙に感慨深かったことを覚えています。冒険家のご主人は「いつも一緒にいることが大切だから」と、どこに行くにも全部車に詰め込んで、皆で一緒に動いていました。
締め切りとかで目をひんむいている日常が続いた後に、こうしたヒトビトとの接点が急に舞い降りてくると、忘れていた自由の感覚のようなものをふと思い出します。リスキーな自由人を選択したにも関わらず、生活すること自体にとらわれて、また楽しむことを忘れてしまっていたなあと。なんてもったいないことをしたものよと。
プロフェッショナルに仕事をしながら、内面にいつも自由を抱えていることができる人はすごいなーと思います。自由業のライフスタイルは千差万別ですが、自在に動き回れる状況を、しかも家族単位でキープし続けている人々などに出逢うとほんとに脱帽。また、そういう人々とめぐり合いたいな。自分たちもそういう自由人でありたいなと思うわけなのです。
Tuesday, August 15, 2006
1-5 知名度が無い場合の収入
固定の読者を持たないフリーランスの書き手の場合は、雑誌や編集、リライトなど、何でも屋さんに徹してフル回転で働かないと、会社勤めよりも確実に収入が少なくなってしまいます。雑誌の執筆料はページ数万円程度ですので、1ヶ月に20ページも書けばとりあえず自活できる金額にはなるのですが、初めはそれだけの十分な仕事を確保することがなかなか難しいのです。ボーナスがないのも痛いですね。エアコンが壊れたとか、PC買いなおさなくちゃいけないとか、車検とか旅行とか。まとまったお金が必要なときって、生活の中には結構あるものです。
もちろん、積極的に営業をして、来た依頼をできるだけ引き受けてちゃんと納品していれば、次第に知り合いが増えていって収入は安定してきます。なので、勢いで会社を辞めてしまう前にちょっと冷静になって、準備金や定期収入などを確保してからフリーになったほうがより賢いと言えるでしょう。
余裕はあればあるほどいいですが、2年くらいは安定するまでに時間がかかると考えておけば、少しくらいへこむ時期があっても、そのときだけやりくりしてなんとか乗り越えられそうです。2年というと気が遠くなるかもしれませんが、1ヶ月の予定をフルに埋めることは難しくなくても、それを毎月毎年続けていくことはそう簡単なことではないんですよね。例えば定期的な仕事がひとつ終了することになったとき、代替の仕事をすんなり見つけることができるくらいのコネクションと実績を積み重ねるには、ざっくり年単位で物事を考えるくらいでちょうど良いのではないかなーと思います。
それにしても、わたしが知っている出版社も編集プロダクションも、いつも人出も書き手も足りなくて困っているように見えるのですが、これは供給と需要の接点が少ないためなんでしょうか。疑問です。
最近は、個人でブログを書いていて人気があり、フリーになる前からネットの世界で名前が知られている場合もありますよね。出版社に認められなければ本が出せない、コネがなくては雑誌に書けないという壁を越えずとも、気軽にネットで一般に文章を公開できるようになり、プロとアマチュアの境界線は急速に曖昧になってきています。既存の物書きには脅威の現象であるともいえますけど、工夫ややる気次第で執筆者開業への道はばっちり開けると思います。
Monday, August 14, 2006
1-4 物書きの収入
物書きの収入は、月刊誌への連載や編集、単行本の印税などの定期的なものと、雑誌記事の執筆や講演会などの単発のものに分かれます。ベストセラー作家でない限りは、物書きの単価はあまり高くありません。それでも単行本であれば少しはまとまった金額になりますが、出版社もリスクを考えるので、初版はそこそこの部数で様子を見るところが多いようです。
ちなみに印税というのは、執筆者の場合で10パーセント、翻訳の場合は7パーセント程度。1000円の本が1冊売れると100円の収入になる計算です。100冊で1万円、千冊で10万円ですね。
じゃあ初版でできるだけたくさん刷ってくれるところのほうがいいんじゃないのという気もしますが、長い目で見ると、やや少なめの刷り部数でも本を大事に出し続けてくれる出版社のほうが、書き手にとってはありがたいです。わっと刷って売れ残った本を断裁するというのはなんとも物哀しいことですし。
講演会はおもにカルチャーセンターなどの一般向けの教室と、図書館や美術館や書店でのイベント、NPOや学校などの慈善・教育団体からの依頼の3つのタイプに分かれます。講演料は主催者によっても語り手によってもかなり違うので一概に言えないのですが、拘束時間を考えると、比較的条件の良い仕事かもしれないですね。さらにさまざまな分野での知り合いも増えるし、いろいろな意味で付加価値が高いです。
そういえば、連れ合いが講演の謝礼代わりに、手作りの食べ物や有機野菜とかを持ち帰ってきたことがありました。自然保護などの心ある活動をしている方々が主催者で、もちろん家族で「おいしいねー」とありがたくいただきました。勤めているとなかなかできませんが、仕事を通じて社会貢献ができるのはフリーのクリエイターの特権ですもんね。
Sunday, August 13, 2006
1-3 物書きの暮らし
物書きというと、夜更かし朝寝坊というイメージですけれど、彼は早起きタイプなので、朝はさくっと起きてコーヒーを入れ、残りの家族をはっしはっしと起こしてくれます。騒々しく子供を送り出して家事を片付けると、彼はコーヒー片手に仕事場に向かい、わたしも入れてもらったコーヒー片手にPCの前に直行。それぞれの長くて幸せな日中の始まりはじまりです。
クリエイティブな作業の場合、まとまった時間のかたまりが無いと、仕事が全然はかどりません。いったん思考が途切れると、もう一度元の状態まで戻すのに時間がかかってしまうからです。場合によっては、二度と戻れないことだってあります。考えるだに恐ろしいですね。なので、子供が小さなうちは、思考がぶつぶつ途切れてしまうことが悩みの種でした。
赤ちゃんのときは1時間くらい、幼稚園のときはだいたい3時間くらい。小学生になると5,6時間くらいと、かたまり時間がだいぶ長くなり、中学生の今では日によって半日以上の仕事時間が確保できるようにまでなりました。
子供が複数だったり年が離れていたりすると多少時間確保までの期間が伸びますが、でもこの「大変」には必ず「終わり」がある。そういう意味では、子供って本当に着実に育ってくれるのでありがたいですよね。もっとも、あんまり帰宅が遅いのもそれはそれで問題なのですけど。
家で仕事をしていると、否が応でも家に関するいっさいがっさいに関わらざるを得なくなりますが、締め切り真っ最中には、パートナーの問いかけへの返事すらまともにできないことがよくあります。
そんなときに一番聞きたくない言葉のナンバーワンが「ごはん、どうしようか?」です。もちろん「そんなこと、自分でお考えなさい」という雰囲気がそこいらじゅうに漂いますから、おなかが減って我慢が出来なくなった人が、昼食の出前を頼んだりコンビニに走るなどして食べ物を調達してくるしかありません。
でも余裕があるときは、ふたりで誘い合って近くの街までぶらぶらランチに出かけます。ついでに買い物をしたり、喫茶店で本を片手にコーヒーを飲んだりして、いっとき自由人であることを楽しみ、平和な風景をかみ締めつつ帰宅します。ときどき華やかな場所に出かけていくことはありますが、基本的にはこんな感じの地味な生活を送っています。
Saturday, August 12, 2006
1-2 在宅にいたる道
そもそも在宅を考え始めたのは、もうちょっと硬派な理由からでした。タスクオーバーのために人生2度目の円形脱毛症になったとか、家族放置のし過ぎで子供と連れ合いがふたりでグレだしたとか、週末はいつも使い物にならないほど憔悴しきっていたとか、それでも布団から這いずりだしてヨロヨロしながらパソコンに向かわなくちゃならなくて、もう精も魂も使い果たしてしまったとか、そういった類のことですね。
でも理解ある会社だったので、相談を持ちかけたところ、「では、家族の世話をするためということで、週4日の在宅勤務を認めましょう」ということになりました。会社としても初の試みだったので、制度としての歪みは若干あったものの、それは本当に画期的でありがたい措置でした。この新しい制度が無かったら、間違いなくわたしはもっと早い段階で退職していたと思います。 これから世の中は、ますます個々の事情に合わせて、もっとバリエーションのある働き方を選択できる時代になっていくでしょう。その意味では会社員の未来は明るい!と言えますね。
でもわたしの未来はそこにはなかった(大げさな・・)。
なので、好きな会社ではありましたが、2年ほどの在宅勤務ののち退職。それから数ヵ月後、ようやく腹をくくって再びフリーランスとして自宅で仕事をすることになったわけです。
再びというのは、実はこの会社で勤め始めるまで、わたしは社会人人生のほとんどをフリーランスで過ごしてきました。連れ合いにいたっては、大学を出てから一度も会社に入ったことがない団塊の世代という筋金入りのフリー人です。
そういうわけで、家風的にも組織に所属しないことには慣れっこになっていたわけなのですが、それでもいったん獲得した「安定」を自ら手放すのには多少の思い切りが必要でした。もし一度もフリーになった経験が無かったとしたら、きっとかなり強い気持ちで「えいやっ」と決断しなくてはならなかったかもしれないです。
